さて、私は君たちに問いたいことがある。
この箱の中には一匹の猫がいる。生きているか死んでいるのかどちらだろう。
答は開けてみないと分からない。
そんな与太話を理化か物理か化学か…なんだか知らないが、聞いた。その話を興味心身に聞いていた郁は俺に「操ならどっちだと思う?」なんて、聞いてきた。郁は昔からそうだ。何か話すと一喜一憂する、そんな表情豊かなアイツが俺は気になっている。
俺は無神経に「さぁ…ただ、俺は生きてる確率のほうが少ないと思う」と、答えた。
だって、そうだろう?
人間に置き換えてみよう。俺らは箱の中に閉じ込められて、わけの分からない何かを入れられる。そんなの、俺だったら確実に死ぬね。だって、怖いからな。
「私は生きてると思う!!」
急に郁が笑顔で言い出した。
郁にすればその答は正。俺の答は負…つまり+と-の考えだ。
イギリスか何処かの国だった。「答は無数にあるんだ」ってね。
○+△-□=10
この記号の部分を当てはめなさい。そんな問題が出たら何とだって答えられるだろう。
それと同じ。
この「シュレディンガーの猫」現象だって、もしかしたらどちらでもないこともあるかもしれない。物質が5:5ぴったりになるかもしれない。
そんな答が無数にある中、俺たちは限りない可能性を秘めて出合った。
さて、もしも俺が郁に「好きだ」なんてこっぱずかしい台詞を言ったとしよう。郁はどんな反応をする?
そんなの、分からないじゃないか。
俺が負なら郁は正。俺が正なら郁は負。いや、もしかしたら両者が正である可能性だってあるんだ。その逆で負だって言うこともありえる。
なら、一度サイコロを転がしてみるのも良いかもしれない。
「なぁ、郁、俺、お前が好きだ」
この後の郁の答は俺だけしかしらない。
開けてみないと分からない箱。
聞いてみないと分からない心。
だって世の中、皆が「シュレディンガーの猫」なんだから。
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